名所・旧跡巡り

歴史はイマジネーション! 名所・旧跡巡りの醍醐味は、なんといっても歴史的な出来事を現地でリアルに再体験できることでしょう。京都は、数知れぬ勇士・猛者・兵たち、古今東西の学識をおさめた賢者、才色兼備の女性たちの活躍の痕跡が厚く堆積しています。 人々が歴史を形作るストーリーのワクワクする面白さ、歴史現場、そして諸行無常の儚さを味わってください。具体的に、そのいくつかをご紹介しましょう。


市川神社

 市川神社は、右京区椙ノ本町の住宅街にある神社です。何気なく歩いていると見落としてしまいそうなつつましやかさですが、古代の遺跡地図を重ね合わせてみると秦氏の太秦での開拓の足跡を垣間見せてくれる、大切な「水門の神」であったことが想像されます。

 足元を見つめると、歴史の深さと広がりに想像が膨らむ京都ならではの場所かもしれませんね。

 

妙顕寺

 妙顕寺は、琳派で有名な尾形光琳ゆかりのお寺です。光琳曲水の庭を前に書院でくつろぎながら、江戸時代に想いをはせるに贅沢な時間を過ごせます。

 そしてまた、ここに紹介するように御朱印の美しさも格別です。旅の印象が美しく保存されますね。

 

本法寺

  本法寺は「なべかむり日親」を開祖として、本阿弥清信が創建しました。日親は、ときの将軍・足利義教に「立奏治国論」を説き投獄されて、頭に焼けた鍋をかぶせられるなどの拷問を受けます。本阿弥清信も同じころ、義教の怒りに触れ投獄されており、そこで二人は出合います。すさまじい時代ですね。

 ちなみに、清信は、本阿弥光悦の曽祖父に当たる人で、のちに、豊臣秀吉が聚楽第を作る際、光悦は移転を余儀なくされたこの寺の支援に尽力します。

 歴史の荒波を受けながら続いてきた風格が伝わるお寺のたたずまいです。

 光悦作と伝わる「三巴の庭」や、京都三大涅槃図のひとつ、長谷川等伯作の「佛涅槃図」など、お宝も満載。 

 


二条城

 二条城は、徳川家康が慶長5年(1600)関ヶ原の戦いにおいて勝利し、3年後の慶長8年(1603)征夷大将軍就任を期に、京都御所の守護と将軍上洛の折の宿泊所として造営された城です。

 家康は慶長8年2月伏見城において将軍宣下を受け、3月に新築の二条城に入城重臣や公家衆を招いて将軍就任の祝賀を行ないました。これは二代秀忠と三代家光まで行われたのでした。

 

「東大手門」

 櫓門という石垣と石垣の間に渡櫓を通して下に門を開ける門

 

 「唐門」(重文)
切妻造、桧皮葺の四脚門。前後に唐破風をつける正面及び背面に唐破風を持つものを「向唐門」

「二の丸御殿」(国宝)「車寄」(国宝)「遠侍」(国宝)

 

 

 

三の間」「二の間」「一の間はすべて竹林に虎と豹が金碧障壁画(きんぺきしょうへきが)で描かれており、3部屋とおして「虎の間」と呼ぶ。

「三の間」「二の間」は将軍謁見に訪れた外様大名の控えの間

式台」(国宝)将軍への献上品はこの部屋で取り次がれた。

「大広間」(国宝)

徳川最後の将軍となった慶喜が慶応3年(1867)に在京諸藩の藩主や老中を招集し、大政の奉還を告げた部屋でもある。

「蘇鉄の間」(国宝)

大広間と黒書院を結ぶ大廊

「黒書院」(国宝)「白書院」(国宝)将軍が日常の生活を行うための場所で、居間や寝室として使用された。

 

「二の丸庭園」(特別名勝)

慶長7年(1602)から8年にかけて徳川家康が築城された時に作られた庭園に、寛永3年(1626)徳川家光が後水尾天皇行幸に際して作業奉行小堀遠州に命じて改修を加えたもの。

 


高台寺

 

 臨済宗建仁寺派の寺院。山号は鷲峰山(じゅぶさん)、寺号高台寿聖禅寺。豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院で、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなむ。釈迦如来を本尊とする禅宗寺院です。
秀吉と北政所を祀る霊廟 霊屋(おたまや)の堂内装飾には桃山様式の蒔絵が用いられおり、これが「高台寺蒔絵」です。
 


京都御所(紫宸殿・御三間)


三十三間堂

 

三十三間堂は、その中に入ったとたん、居並ぶ1001体の千手観音像に圧倒されますが、年の始めの「通し矢」も有名です。縁側の北端に的を置き、南側から軒天上に当たらぬように矢を射抜きます。よほどの強い弓でなければ121mの距離を射抜くことはできません。江戸時代に盛んになった「通し矢」は各藩の競い合いの場となりました。最高記録は18歳の、和佐大八郎の総数13,053本、通し矢8,133本、1分間に9本発射とのこと。

 

 この偉業の凄さを、あなたも縁側の縁に佇んで、しみじみと忍んでみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 


北野天満宮

 

学問の神様として慕われ、恐ろしい祟り神でもあった菅原道真を祀る北野天満宮。ここにはやたらうずくまる牛の石像がそこここに並びます。「天神様と牛のかかわりは?」ふとした疑問があなたを歴史の細道へと誘います。